「マークスの山」で感動し「照柿」で圧倒されかつ閉口した、この著者の筆力と細部への拘り、そして心理描写の粘性。本品では、多様な背景をもつ関係者を絡ませた一連の事件の顛末を描く中で、さらに効果的に発揮されている。
特に、誘拐・恐喝事件に至るまでの「事情」の積み重ね方、犯人に振り回される捜査本部の緊張感、競馬仲間の関わり方や大企業上層部での微妙な会話のやり取りなど、ストーリーテラーの面目躍如たるものがある。
それに加えて、異なる職歴・年齢・人生観を持つ犯人側、被害者、捜査側の人物がそれぞれ己の内部を覗かせる部分は、ある程度まで人生を経た段階で人生を省みた人間が感じる、執着と諦観の間の揺らぎを見事なまでに表現している。
絶対的剛速球おすすめ度
★★★★★
自称評論家と素人がわいわいと楽しくやっている草野球のように、
草小説という世界があったとする。
チームの指南役が新人をつかまえ「短編というのは芸事だから、
肩の力を抜いた感じで軽うくな。で、オチの後は余韻がスーッと
残るようにやってみな」と指導し、それじゃ軽く投げてみますと答えた
高村投手がズドンと160キロ。
「おいお前はもう少し力抜くとかカーブを混ぜるとかできんのか」と
責められ、私はこのタマしかないんで、みなさん打つのが無理なら
50メートル離れてみましょうかと言ってまたズドン。
次第に周囲は、セオリーとかジャンルとかタイプとか、そういうハコに
押し込める行為自体が無意味な「絶対的な剛速球」というものが存在する
ことに気づき、畏怖する。
日吉町クラブというアイデアのスケッチに、思う存分筆を振るうだけの
フィールドと道具立てがそろっても、なお、剛球は剛球のままだった。
長大ではあるが過不足は無し。
社長、刑事、新聞記者、犯罪者、総会屋など、それぞれの職業人の
むんむんと色気が漂うような描写を通して、雇う者と雇われる者、
脅す者と脅される者、差別する者とされる者など、あらゆる関係性を
緻密に切り取って、戦後という大風呂敷を畳んでみせる。
しかし、その視線はあらゆる物事を上から見る神のものでも、調べ
尽くす学者のものでもない。
「日の出のビールはうまかったなあ」
こんな台詞で日本人の戦後を語りきってしまう高村薫は、やはり
徹頭徹尾小説家であり、このテーマが小説で描かれたことに対し
て心底誇りに思う。
ミステリーと言うよりは、やっぱり社会派小説おすすめ度
★★★★★
この人のはやっぱり難解。専門用語の説明が物語の中にあまり無い。
「仕手筋」の証券株とか書かれていても、何のことだか…。新聞をよく読みましょう!って言われていたのはこう言うこと!?(-_-;)
冒頭の手紙の部分の旧仮名遣いを読むのにも苦労しました。時間がすごく掛かった…
「マークスの山」⇒「照柿」⇒「レディー・ジョーカー」と連続で、合田刑事の話を読んだけど、段々と刑事として彼の捜査を語る部分は減っていく、彼の『私』の部分を描くことが多くなっていった。
前・後編でP.1000を超える長編で作者が巧いだけに、読み応えが合って面白かった。
最後の締めが少し意外で、この人が死んじゃったの!?と言うのがやけにあっさり書いてあったり、過去の話でおなじみの人のその後がさっくり触れてあったり、やっぱりこう来るか!と言う所もあったりしました。
合田刑事シリーズは、もう書かれていないようで、それがちょっと寂しいかな?
これぞ「社会派」
おすすめ度 ★★★★☆
恥ずかしながら、推理小説というものをほとんど読まない私、
しかも映画を先に見て、何がなんだかよくわからなかったもので
本で確認、というなんともオソマツな入り方。
その名をとどろかす高村薫という作家についても、なーんにも
知らなかったわけですが。
読んでのけぞる思いでした。この人は何と圧倒的な筆力を持って
いるのでしょうか。ただの博覧強記というレベルをはるかに超えて、
社会構造のさまざまな側面の本質を突き、人間の本質を突き、
登場人物とその背景を、極めて精密な筆致で描き分ける。見事です。
ご本人は嫌がられるかどうかわかりませんが、これが真の「社会派」
サスペンスではないでしょうか。
あれだけのボリュームの内容、取材や調査も並大抵ではなかったはずで、
その体力にも脱帽。いやあ、あれを映画化するのはしょせん無理な
話でしたね。じっくり描けるTVドラマだったらなんとか…ってやっぱり
無理かな。とにかく社会をじっくり見据える視線がないと、映像化は
むずかしいでしょうね。