本書に書いてあるような極貧生活は、つい最近の出来事で、いまのわたしたちにも無縁ではありません。国の舵取りに失敗したり、天変地異等で食糧事情がわるくなれば、あっという間に、こういう生活に舞い戻ることもありうるとおもいます。
また、身の回りにも、これほどではないにせよ、生活困窮者がすくなくないことを、わすれるわけにはいきません。幸運にも成功したひとたちは傲慢になりがちで、経済弱者をさげすさんでいますが、事情はけっして単純ではないはずです。この分野を取り上げた著者に敬意を表します。
近代日本の歩んだ道おすすめ度
★★★★☆
立花隆さんが書いた書評の中にあった一冊。
読んでいるうちに気分が悪くなる方もいると思います。まさに日本のスラムあるいはそれ以下の生活を当時のルポや書籍から紹介しています。
残飯を売る商売が成り立ち、その日暮らしの人たちがまさに東京の街中のスラムに肩を寄せ合って生きている。後半では娼婦や女工に焦点を当てて金ある者が同じ人間を人間扱いしないで虐待搾取していく状況がこれでもかと言うほど書かれている。
現在言われている格差社会と言うコンテクストと比べようも無いと思ってしまう。普通に餓死し、野垂れ死にし、医者にもいけず死んでいく、騙されて売られていく少女、飢饉で親から売られる子供。
それほど昔ではないであろう時代の日本に普通にあった現実なのだ。
かつて東京もスラムだったおすすめ度
★★★★☆
明治から昭和初期にかけて、東京にはそこらじゅうにスラム街がひろがっていた。本書は、当時の大量の記録を元に、明治維新後の福祉政策、弱者救済が如何に軽視されていたかを、つぶさに見ていく。
前半はスラム住人の住環境と食の悲惨さ、後半は娼婦と女工の過酷な労働実態に光をあてる。当時、東京の住人の15%、約30万人がこうした生活困窮者であったという。現在の人口比でいうとなんと120万人になるから、その凄まじさに呆然となる。ちなみに平成12年の東京23区内のホームレスは6000人弱、である。
都市がスラム化する原因は、人々が田舎の定住生活を捨て「流民」になるからであるという。
どんなに立派な高層マンションに住んていても、そこに定住するつもりがないなら、それは流民である。流民はそこを終の棲家だと思っていないから、近所とも付き合わないし、ごみを廊下に積んでも平気である。そうして流民の心は荒んでいく。当時から100年たって、建物は清潔になり、食べるものにも困らなくなったが、人々のモラルは地に落ちたままだ。流民の心の荒廃は当時のスラム住民となにも変わらない。これが著者の主張である。
福祉政策の問題、弱者救済のあり方、貧困が招く心の荒廃など、本書が現代に提示する問題は多いが、こんなに貧しい日本がかつてあった、ということを知るだけでも、いろいろなことを考えされられる一冊である。