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Death in Venice (Muerte en Venecia)
ベニスに死す〈ニューマスター版〉 |
言わずと知れたルキノ・ヴィスコンティの代表作。トーマス・マンの原作では初老の文学者である主人公を作曲家に替えて映画化。この映画の成功はなんと言ってもヨーロッパ全土数千人の中から選ばれたという空前の美少年・タッジオ役のビョルン・アンドレセンの起用による。彼にもし欠点があるとすれば、少年と言うには背が高すぎることくらいか。 その冷たいまでに美しいタッジオと彼を見つめる老作曲家アッシェンバッハとの間には、ついに言葉が交わされることはない。しかし、少年を恋焦がれる男、それに気づき誘うような素振りさえ見せる少年の二人の心理描写は見事としか言いようがない。 |
ベニスに死す |
旅先で見かけた人に、ふと心惹かれて目で追ってしまったり…。もし、あのとき声をかけていたら?アッシェンバッハにしても、有名作曲家(原作では作家)という肩書きがあるのだから、大人の知恵を使って、タジオ一家とお近づきになることもできたろうに、彼はそんな悪知恵が働くほど、フレキシブルに生きられる男ではなかった。分別や理性、努力こそ「美」であると信じ込んでいる彼の前に、何の努力もなく、生まれながらに美しいタジオが現れ、彼は「美」を根底から覆される。タジオは彼を美へと誘う天使だったのか、彼を死へと誘う悪魔だったのか…? |
ベニスに死す |
あまりにも意味のわからないレビューのタイトルで始まってしまいましたが、正直なところこのようにしか本編を形容することができません。
才能ある中年男の禁断の恋。共感する者以外には全く無意味な題材。しかしヴィスコンティ監督の手にかかると、こうした多くの人々にとっては意味の無いエッセンスも価値のある逸品に仕上がってしまうのです。名優ダーク・ボガードの抑えた演技から半端ではない欲望がはみ出していく様子は圧巻。どのようにしてヴィスコンティはこのような演技を引き出すことができるのかいい意味で理解に苦しみます。 アシェンバッハの陰鬱な表情とバックに流れる、この主人公のモデルとなったグスタフ・マーラーによる交響楽との流麗かつ陰惨な一体化。それは放っておくと何時間でも浸っていたくなるデカダンスを伴った快楽。この時点で私ははっとさせられました。このフィルムを見入ることによって、次第に自分もダーク・ボガード扮する男の気持ちに溶け込み同調しているのではないかと。一瞬「そんなことはあり得ない」と当惑する自分。それでもこのフィルムに見入ることは止められません。それどころかさらにフィルム自体の深みに入り込んでしまっている・・・。ベニスの町は中世さながらの退廃的な祭りで沸き立っている。その退廃した空気はホテルにも、街にも、運河にも充満しきっている。加えて、そこに忍び寄る疫病の恐怖。ベニスという街の持つ、中世を引きずるゴシック的不気味さをこれだけ引き出したフィルムがかつてあったでしょうか。ダーク・ボガード扮するアシェンバッハでなくても、こんなところに逗留していたら狂気に陥るのかもしれません。 そしてビョルン・アンデルセン扮する妖艶なタジオです。ギリシャ彫刻然とした完璧ともいえるフォルムを有する少年。すくなくともアシェンバッハにそう思わせた若人。哀れな主人公の自分への恋心を知ってか知らずか少年もまた初老の音楽家を意識します。しかし、どのように意識しているのか。その曖昧な冷たい微笑みは観る者をあざけり、迷わせ、突き放すのです。その存在がベニスの不気味さとあいまって物語は至高の退廃美をじわじわと完成させていくのです。 見終わったあと本編に当初感じた無意味さは、人間が持つ美への願望あるいは欲望といったある意味で大いに検証するに値する心情ととって替わられてしまいました。無意味さが純粋なる価値へと昇華していく。本編で体感したヴィスコンティの魔術とはそんな魔術なのです。 |
ベニスに死す |
この映画で描かれる愛は、まちがいなく本物の愛の、一つの形だとおもいます。 主人公の真摯な想いが胸に迫ります。 生の美しさは老、病、死と対置させることでいっそう際立つんだなと感じました。 |
ヴィスコンティ秀作集 1 (1) |
~ヴィスコンティ秀作集の1巻で、まるごとベニスは死すのスチールやシナリオ、ヴィスコンティとの対話、「ベニスに死す」をめぐる対話、評論などが一冊になっています。1981年当時の発刊により、今の評論よりも細かい評論になっており、決して読みやすくはないがファンにはたまらない作りになっている。最近、こんな骨太な本は滅多にないです。ヴィスコンティ好~~きは絶対に買いです。~ |
こんな ベニスに死す の夢を見た!
ユーザーとのコミュニケーションをベースに支持層を拡大していった ベニスに死す。キャラクターのためにオリジナルの新しい歌が加えられるという。
「毎晩バンドのキャラクターが変わり、曲のキャラクターも変わって行く。同じショーは2度とない。」と語っている。
ほえ~。ということはこれを頭に置いて言ってたのかな?
『 ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思います。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と死に別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だったような気がします。 』( 原民喜 )
ズバリ!ですなあ。。
ヴェネツィアのアッシェンバッハとマーラー
結論から言えば、この「ヴェネツィアに死す」(「ヴェニスに死す」の方が一般的か?)という小説、あんまり楽しめなかった。 訳者は解説の中で書いている。《書かれてからほぼ1世紀を経て、この物語はこんにち急速に古びつつあるように思われます》と。 ...
ベニスに死す Death in Venice
ベニスに死す商品詳細を見る(Amazon.co.jp) 原題:Death in Venice 監督:Luchino Visconti ルキノ・ヴィスコンティ製作年:1971 製作国: イタリア・フランス少年:Bjorn Andresen ビョルン・アンドレセン Venice01.jpg 音楽も映像もいい。 ...
太陽はひとりぼっち
「ベニスに死す」には、音楽がありましたが、 「太陽はひとりぼっち」は、音楽がありません。 それでここまでの映画が作れ、 美しい映像は終焉の死でも、世界の果てでもなく、普通の日常に映し出されます。 さらに「ファンダンゴ」には、生きていく答えが ...
『ベニスに死す』・・・ ※ネタバレ有
1971年:イタリア+フランス合作映画、ルキノ・ヴィスコンティ監督、ダーク・ボガード主演。 ≪BS録画≫ §BYJセレクト§
ベニスに死す
他に何かないか陳列棚を眺めていたら、不朽の名作『ベニスに死す』を発見しました!!しかもDVD!! 10代の頃から視たいと恋い焦がれていた作品に、偶然にもようやく巡り合えました(^o^)/ この作品は、20世紀の巨匠ルキノ・ビスコンティ監督が「生涯最高傑作」 ...
夏バテバテ
もう『ベニスに死す』のラストシーンのようにボーっとした雰囲気で、 偏頭痛と悪寒にただただ寝ていた。この体調の悪さは、 いつかインド旅行での旅客機内での最悪以来で、 あの時も旅の前に、溜め込みながら仕事して体調崩してしまった。 ...
「ベニスに死す」
とりわけ「ベニスに死す」は映画館で7回、TVで3回。 もちろんDVDも。 ルキノ・ヴィスコンティの作品はけっこうほとんど見ました。 「ルードウィっヒ」「山猫」「家族の肖像」「夏の嵐」「イノセント」・・・・ 挙げるとキリがないくらい。 ...
ベニスに死す
ビョルン・アンドルセンが美しいという理由だけで課題に使用したDVD。 超庶民の私にはヴィスコンティ監督の貴族然とした茫洋とした悲しさとか虚しさとか一生理解できないと思った。
ベニスに死す
きのうの火曜バレエが始まる前に、スタジオでかかっていたのが、マーラーの5番の第四楽章・・・・なんて書くといかにもクラシック通??みたいに思われるかも知れないが(思わないか?)この曲は、ベニスに死すで使われていて有名になった? ...
403旅 『ヴェニスに死す』 トオマス・マン
理性をもって誠実に生きねばならないのが人生の大多数なのはその通り。一方で、行き先不明ながら、世の評価と逆行するとしても、心に従って生きざるをえない時もある。 □参考ウェブサイト 『ベニスに死す』(wiki)